もう3ヶ月経ちますが、4月9日、
庭のジューンベリーの花が満開の美しい朝に、
新しい家族が誕生しました。
3450gの元気な男の子。名前は楓人(ふうと)です。
念願叶い、自宅出産できました。
お世話になった助産師さん達、応援してくれた家族に心から感謝です。
生涯忘れられない、美しい朝でした。
しかし、お産自体には何も問題なく安産だったものの、
生後3日で黄疸が強く出て、夜中に緊急入院。
病院に連れていくのが少し遅かった為に光線療法だけでなく点滴も必要に。
場合によっては交換輸血と言われ、心臓が冷たくなる様な気分でした。
保育器の中でブルーライトを受けながら点滴やモニターに繋がれ、
アイマスクをつけて裸で眠る姿を見ると、なかなかのショックで、
家に帰ってからしばらく泣きました。
そんな翌日から、ののちゃんの幼稚園生活が始まり、
もちろん(!)ものすごく嫌がり、毎朝大泣き&大暴れ。
バスに乗れず、しばらく園まで送り迎えしたのでした。
激しい抵抗っぷりに本当に憂鬱な日々でした。
3時間おきに搾乳して、毎日病院に届けなくてはいけなくて、
もう心身共に辛かった・・・。
搾乳して、お弁当を作って、ののちゃんを起こして、着替えさせて、
食べさせて、ののちゃんを送って、搾乳して、病院に行って、帰って、
ののちゃんを迎えに行って、搾乳して、晩ご飯作って食べて、お風呂に入れて、
搾乳して、寝かし付けて一緒にしばらく寝て、搾乳して、寝て、朝になって・・・。
赤ちゃんが生まれたらドタバタな日々は覚悟していたけれど、
こんな風になるとは。フラフラです。
しかも、黄疸は良くなって、母乳やミルクをしっかり飲めているのに体重が増えず、
これはおかしい・・・という事になり、色々検査をしていくと、
2万人に1人と言われる先天性の病気が発覚したのでした。
医学的に、治ることはないのだそうです。
でもお薬をきちんと飲み続ければ普通に生活できる。
ただ、熱が出る等の体にストレスの多い時は要注意で、薬の量を増やさないと、
取り返しのつかないことになる。2歳までは熱が出たら即入院。
という事で、これまた大ショック。
本当に毎日泣きました。
頭では『ふうちゃんの病気を悲しんだり、可哀想に思ってはいけない』と、
分かっていても、
そばにいるののちゃんを不安にさせてしまうからダメだと分かっていても、
思い出すたびに泣いてしまって、苦しかった。
そんな日々でもお店は忙しく、病院通いもあるし、家庭もあるし、
日常は続いていくので、もう無我夢中でこなすしかなくて必死でした。
でもたっぷり泣いたら満足したのか、ある日急にストンと全てが腑に落ちたというか、
受け入れられるようになり、『大丈夫や!』という、根拠のない自信が生まれたのでした。
そんな病気を持ちながら、早産の危機も乗り越え、
無事に私たちの元に生まれてきてくれた我が子。
きっと強い子です。
もちろん健康な人にはない苦労がたくさんあるかもしれないけれど、
病気だからこそ出会える人や物があって、
どんなに輝かしい人生が待っているか分からない。
特別気負うことなく、今までどおりの明るく楽しく美味しい日々を過ごし、
元気で、笑顔でいよう。
そう思えるようになってしばらくして、ふうちゃんは帰ってきました。
ちょうど2ヶ月の入院でした。
やっと待ちに待った子育てが始まったような感覚。
離れていた時間が長かったからか、二人目だからか、
ぐずって泣き止まなくても、とにかく可愛い。
1日20枚以上の布おむつを洗う日々も嬉しい。
世話好きなののちゃんはいいお姉ちゃんぶりを発揮しています。
(もちろん時々やきもちを焼きながら)
そんなののちゃんももうすぐ4歳のお誕生日。
最初はあんなに大変だった幼稚園通いも、今では楽しく(?)通ってくれていて、
随分成長しました。
先日、ふうちゃんが何をしても泣き止まなくて、私もさすがに疲れて来た頃、
『ふうちゃんはきっとお母さんのこと大好きだから泣いてるんだよ』
と、ののちゃんに言われ、
『あぁ、すごい事を言うなぁ。全部わかってるんだなぁ。』
と、感動したのでした。
子供たちのおかげで、日々発見・勉強させてもらっています。
そしてなにより子育ては体力勝負だなと痛感しております。苦笑
本当に毎日必死で、大変といえばそれはもう大変だけれど、
私が死ぬ時に思い出すのはこんな日々なんだろうなと感じます。
汗臭くも、輝かしい日々です。
これからも、もっともっと色んな事が起こるのでしょう。
でも絶対に大丈夫。
今までどおり、泣いたり笑ったりしながら、受け止めていこう。